イルカ事件と爆弾発言
長崎県壱岐の近海では、毎年2月から4月にかけて約30万頭のイルカの大群が発生。
ここで生活する漁師たちが生活の糧としているイカやブリなどを食い荒らしハマチの養殖の
網を食い破ってしまうイルカたちを「海のギャング」と呼び憎んでいた。
イルカはたいへん大食いで毎日自分の体重の一割もの量を食べるため、これにより
イカ・ブリの水揚げ金額は3分の1になってしまうという。
1978年2月22日午後、壱岐・勝本町の北西約24kmの海上でイルカの大群を操業中
の漁船が発見し、ただちに地元漁船300隻が出動、追い込み網を使って約4時間がかり
で近くの辰ノ島の海岸に追い込んだ。
その約1000頭のイルカを翌23日から24日にかけて捕殺した。
このことが世界に報道されると、世界各国の自然保護団体から抗議が殺到し、日本政
府は「イルカは他の有用な魚類を食い荒らすだけでなく、ハマチ養殖の網を破るなど
日本漁民にとっては”敵”である」と反論。
3月17日、ロサンゼルスでは、オリビアとヘレン・レディが自分たちのスポークスマンを通
じて日本公演拒否声明を発表。
オリビアは、「イルカのようにかわいくて賢い哺乳動物を殺すことを認めるような国では
歌を歌う気にはなれません。」と爆弾発言した。
過剰すぎる反応
この発言に対し、オリビア・ファンだけでなく一般国民やマスコミも一斉に反応した。
ほとんどのマスコミの反応は「日本の漁民の生活事情をまったく理解していない一方的
発言」 「毛皮をまとって "イルカがかわいそう"?」など批判的なものだった。
オリビアが着ていたとされる毛皮はアザラシの毛皮で、これは生後2〜3週間ぐらいのアザ
ラシの子を、毛皮に傷をつけないために殴り殺して皮を剥ぎ取るという方法で作られている。
(現在のオリビアが毛皮を着るとしてもフェイクファーだが、当時は本物の毛皮を着ていたと
思われる。)
当時の日本国内のオリビア・ファンクラブでも反応が凄まじかったようで、FCを脱会した者や
ファンクラブに対して「FC解散しろ」、「死ね○○(会長の名前)」等の八つ当たり的な手紙や、
「イルカ虐殺については反対だが、抗議をするなら来日して抗議してほしかった。」
「私たちはオリビアの歌を聴きたいのであって、ああいう社会的発言は聞きたくない。」
とオリビアに対しショックを隠しきれない意見や、「漁民なんか死んでしまえ。」という逆恨みの
意見もあった。
この頃、東京音楽祭に参加するため来日したデビー・ブーンが滞在中に「週刊プレイボーイ」
のインタビューで「オリビアから電話で"あんな野蛮な国に行くのはおよしなさい"と忠告されま
した」と発言、ファンに再度、ショックを与えた。
オリビア側、日本のファンやマスコミ側とお互いに不十分な情報により誤解が生じ、かなり
混乱したようだ。このイルカ事件はアメリカでも話題となり、選挙活動に利用する政治家が
現れたり、政治的な問題に発展したらしい。
その後の展開
その後、日本のファンの署名運動、東芝EMI等の説得、交渉により10月の来日公演が実現
することとなった。
「実はこういうことがあったんですよ。いつだったか先輩歌手のヘレン・レディさんから"日本
でイルカを大量に殺したってこと知ってる?あたしはそういう国に二度と行かないけど、
あなたもイルカ愛護に協力して!"という電話があったのです。そのとき私は日本で、どんなこ
とがあったかは知らなかったけれど、誰でもそういうことを聞いたら"ひどいわ"と思うでしょ?
だから"そうね"って同調する返事をしたんですよ。それがああいう報道になったんです。
ね、わかってくださるでしょ。」
「どこの国であっても"イルカがかわいそう"と思うのは私だけじゃないでしょ?私はイルカを
とくに好きだから」 「政治とか運動にはまったく無関心です。でも地球上の生物を守らなく
ちゃならないってことだけは知ってほしい。」
1978年10月11日、東京ヒルトンホテルでの読売新聞(10月13日付夕刊)のインタビュー抜粋
来日記者会見
日本側関係者は、記者会見等、コンサート以外の活動を一切行わないと発表していたが、
来日したオリビアはまず「イルカ問題について日本の皆さんに私の気持ちをわかってほしい。
記者会見はぜひやりたいし、できれば日本でイルカの研究をなさっている人たちと会って、
話し合ってみたいの」と語り、急遽、記者会見が準備されることとなった。
「私が今回日本に行こうと思った理由のひとつにイルカ事件があります。」
「私があの発言をしてから、ずいぶんたくさんの人たちから抗議の手紙や逆にはげましの
手紙をもらいました。でも、ぜひ理解してもらいたいのは、私があのイルカ虐殺をひどすぎ
ると言ったのは別に日本の皆さんを恨むとか嫌ったからではないんです。あの時はたまた
ま日本でああいった事件が起きましたけれど、もしあの事件がどこか別の国、たとえばフラ
ンスで起こっても、私の故郷のオーストラリアで起こっても、私は同じような発言をしたでしょ
う。」
「イルカが一日40kgもの大量の魚を食べ、漁民の皆さんを困らせていることは知っています。
生活を守るために、イルカを殺さなくてはならないのも仕方がないのかもしれません。私は
TVのニュースで長崎県のイルカ虐殺のフィルムを見ました。でもその時の漁夫の皆さんの
表情はとても悲しそうに見えました。できればイルカを殺さないで漁夫の皆さんの生活を守
れたら...これが私の願いなんです。」
オリビアはさっそく日本でイルカの研究をすすめている国際海洋生物研究所(千葉県鴨川シ
ーワールド)の鳥羽山照夫博士と会談。
「イルカが漁民の皆さんの迷惑にならないよう、漁場に近づかない何か良い方法を考えて
ください」と、今回の日本公演のギャラの一部、2万ドル(当時の金額で約380万円)を寄付し
た。
この日の夜、NHKのニュース番組「ニュースセンター9時」に出演し、同様のインタビュー
が放映された。
そして現在
その3年後、オリビアが発表したアルバム「虹色の扉」にイルカのことを歌ったオリビア自作曲
「愛のプロミス」が収録され、"日本に対するあてつけ"と反応するマスコミもいたが、
そんなことよりも「フィジカル」でのイメージチェンジの方が当時のファンには、強烈だったよう
だ。
おもしろい(と言って良いものかどうかわからないが)ことに、このイルカ事件のことが現在では、
いつの間にか『オリビアは反捕鯨活動をしていた』とか、『鯨を食べる日本人は野蛮』と言ったとか、
イルカが鯨に変化して語られることが多い。
『日本嫌いで来日はしない』というようなオマケまで追加されている。
人の記憶というのは曖昧なものだ。
都市伝説というのもこういう風に伝わっていくのだろう。
このページを作成するにあたって当時のオリビア・ニュートン・ジョンFCの会報、
映画雑誌「ロードショー」などをかなり参考にさせていただきました。
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