オリビア・ニュートン・ジョン
キャンセルされた幻の企画/計画

Is The Rumour just a thing of the past?

数々ある幻の企画の中で、実現してほしかったものや、していれば、オリビアの人生が変わっていた
もの、しなくて本当に良かったものなどを紹介。信憑性の無さすぎるゴシップネタなどは除外しました。

年代 幻の企画の内容
1967 *ブルース・ウェルチと婚約したがのちに婚約解消した。

*シャドウズのミュージカル「シンデレラ」への出演依頼を断った。
1970 *Toomorrowは、シリーズ映画、TVシリーズも作られる予定だったが、
 映画がまったくヒットせず企画が流れた。
1972 *シングル「Rosewater」のB面として「I'm sorry about the pain」という曲
 が、録音されたがオクラ入りになり、シングル自体も発売されなかった。
 アセテート盤だけが、存在する。
1974 *「Long live love」のドイツ語バージョンがレコーディングされ、ドイツでシ
 ングル盤が発売される予定だったが、中止に。

*「愛の告白」は当初、レコード会社から「テンポが遅すぎるから」との理
  由で、シングルカットを却下されたが、なんとか説得して発売、結果的
 には大ヒット。
1975 *映画「あの空に太陽が」の主題歌がシングルカットされる予定があった
 が権利関係の都合で中止になった。
1976 *来日時、数々のCM出演の依頼を受けたが、歌手業に専念したいと
 の理由で、これらを断った。

*Something Better To Doの日本語バージョン「ひとりぽっちの妖精」が、
 企画されたが、実現しなかった。レコーディングはされていないと、いわ
 れているが、のちのインタビューで外国語で録音した歌は、あるかと訊
 かれ、ドイツ語、フランス語の他に、日本語でも歌ったと答えている。

*オリビアとリー・クレイマーは、ドリス・デイの伝記映画の製作と主演を
 企画したが、ドリスの「プライベートをさらしものにされたくない」という
 意見に納得し、取りやめに。
1977 *1976年の来日公演が、2枚組LPレコードで、発売される予定だった
 が、オリビア側から許可が下りず、中止になった。長年にわたる交渉の
 末、1981年に一枚もので「愛のパフォーマンス」としてリリース。

*映画「ジョーズ」の出演依頼を断った。

*映画「カサンドラ・クロス」の出演依頼を断った。この映画にはオリビア
  の出演を想定して書かれた役があるらしい。

*映画「サージャント・ペッパー」の出演を断り、「グリース」を選んだ。

*この年の前後に何度か映画「エヴィータ」への出演が噂された。
1978 *有名な「イルカ事件」でヘレンレディと共に、来日公演をキャンセル。
  半年後に和解し、来日公演が実現。
1980 *映画「ミュージックミュージック」の出演を断り、「ザナドゥ」に主演。
1981 *映画「カンガルー」に出演予定だったが、この映画自体の制作がキャ
 ンセルになってしまった。

*「フィジカル」は元々、ロッド・スチュワートの為に書かれたものだった
 がオリビアが作者に頼み込んで手に入れた。
1982 *「グリース2」への出演が噂されたが、実現しなかった。

*マリリン・モンローの伝記映画へモンロー役で出演を希望したが、
 肉体的な魅力が無いとの理由で断られた。

*来日公演がほぼ決定されていたが、実現しなかった。プロモーターとの
 金銭面の交渉がうまく行かなかったとのこと。

*映画「アンダーカバー」に出演予定だったが、キャンセルに。
 のちに制作されたこの映画には「オーストラリア人歌手のリビー」と
 いう役が別の女優により演じられている。
1983 *次の映画出演は、ジョン・トラボルタとのの再共演になることは決定
 していたが作品がなかなか決まらなかった。出演予定と発表された
 ものには「Stairway to heaven」、「About a week」等がある。

*映画「Two of a kind」は当初「Second chance」という題名で予定され
 ていたが制作途中に「Second fever」に変更され結局「Two of a kind」
 に落ち着いたが、日本とフランスでは「セカンドチャンス」で公開。
1984 *ティナ・ターナーとのデュエットをレコーディングしたと伝えられたが、
 発売はされていない。たしかに録音されたのかどうかも不明。

*次のアルバムのタイトルは「Queen of publication」になると発表され
 たが、現実は、翌年にご存知の通り「Soul Kiss」になった。

*クリストファー・クロスのレコーディングに参加したお返しに、ニュー
 アルバムに参加してくれたと発表されたが、クリストファーのアルバム
 には、オリビアが参加した曲は収録されていない。
1985 *ビデオシングル「Soul Kiss」は、当初は、ビデオ「Physical」のような
 フルアルバムビデオになる予定だったが、妊娠していた為、5曲に縮小
 された。

*アルバム「麗しの瞳」収録の「Tougen Up」は、ティナ・ターナーの為に
 書かれた曲だった。

*夜のヒットスタジオの出演が出産のためキャンセルされた。
1988 *アルバム「The Rumour」は、はじめタイトル曲抜きで完成していたが、
 レコード会社から「シングル向きの曲が1曲ほしい」と言われた為、
 エルトン・ジョンに依頼し、プロデュースもしてもらった。
 そうなってなければアルバム題名も違っていたでしょう。

*夜のヒットスタジオの出演が、当日まで予定されていたが、オリビアは
 出演せず、何事もなかったように替りにキムワイルドが出演していた。
 妊娠のためキャンセルした模様(その妊娠は、流産している)。
1991 *日本のみで、「麗しの瞳」、「噂」、「ウォーム・アンド・テンダー」と
 「ベスト・オブ・ベスト」の計4枚組CDボックスセット(豪華写真集ブック
 レット付)の発売が企画されたが、レコード会社によると「アーティスト側
 の意向により」中止に。
 「ベスト・オブ・ベスト」は、オリビア自身の選曲によるベストになる予定
 だった。
 この企画が翌年の「Back to basics」のきっかけになったのでは??

*上記とは別でベストアルバムと来日公演が予定されたが、実現しな
 かった(24時間テレビ出演の為、来日は実現した)。
1992 *アルバム「Back to basics」用の新曲は3曲だけの予定で完成して
 いたが急遽、「I need love」を録音、収録、第1弾シングルとされた。

*10年ぶりのUSツアーが、乳ガンの治療の為、キャンセルされた。

*「Deeper than a river」が第2弾シングルとしてアメリカで発売される予
 定だったが、急遽、発売中止に。
 入院でプロモーション活動ができない為と伝えられた。

*オリビアとトラボルタ再々共演で「グリース3」の制作が企画され、
 2人共、出演を承諾していたらしいが、乳ガンの治療の為、中止に。
1995 *「ガイア」日本盤発売と、来日キャンペーン、「No matter what you do」
 のシングルカットが予定されたが、来日が実現できなかった為、すべて
 がキャンセルに。
 アルバムだけは、翌年、権利の切れるギリギリ前に発売された。
1996 *オリビアの未発表新曲を3曲収録した「Snowden on ice」のサントラ盤
 の発売が予定されていたが、中止に。

*スタートレックの新作にエイリアン役で出演依頼をされたらしいが、詳細
 不明。

*アメリカでEMI傘下のレーベル、EMI ANGELと契約し、アルバム「Gaia」
 の全米発売が決定されたが、契約自体が解消され、中止に。
 詳細は不明。
1998 *クリスマスアルバムが企画され、ファンクラブでも「歌って欲しいクリス
 マス・ソング」が投票されたが、実現しなかった。
1999  *「フィジカル」の新録音リミックスバージョン「Physical '99」が制作され、
 発売される予定だったが、中止に。

*上記「フィジカル'99」を収録したアルバム「ベスト・オブ・オリビア・
 ニュートン・ジョン(仮題)が発売予定だが、延期に次ぐ延期で、今の
 ところ未発売。
2000 *映画「ザナドゥ」公開20周年記念の企画としてリマスター盤CDが
 未収録曲、アウトテイクが収録されるとの噂があった。

*アジア・ツアーで香港、韓国まで来たら、(コンサートをやるかどうかは
 別として)日本にも来るとの噂があったが単なる噂だった。
2001 *次のアルバムはデュエット集アルバムになると発表されたが、ディスコ・
 ダンス系になり秋に発売予定と変更された。
*デビュー30周年を記念したアンソロジーBOXの発売が、来年に延期。
*リリース予定といわれたニュー・アルバムとは別で、クリスマス・アルバム
 がリリースされた。
2002 *オーストラリア盤DVD「Xanadu」にTVスペシャル「Making Xanadu」を
 収録するとの企画があったが、権利の関係で実現できず。
*日本側で5月の来日コンサートツアーが企画されたが、オリビア側の
 スケジュールが合わず延期に(翌年、来日コンサート・ツアー実施)。
*アルバム「2」のためにバネッサ・アモロッシと「Tru To Yourself」を
 デュエットしたが、所属レーベルの権利問題で収録できず。
*自伝「A Charmed Life」を10月出版の予定で執筆していたが、人の
 プライベートは公表できないと判断し、中止に。
2003 *来日時に「日本のアーティストとコラボレートしたい。才能のある人を探
 している」と発言。さて日本独自のデュエット・アルバム「2」の行方は?
2004 *ジム・ブリックマンと共に新曲「Dream」をレコーディングし、ジム名義で
シングル発売が予定されていたが、なぜかお蔵入りに。
2006 *オーストラリアのシドニーオペラ・ハウスで行われたコンサートがDVD
リリース用に収録されたが、当初噂された年末になってもリリースされず。

資料を見ないで記憶を頼りに書いたので、多少、年代の前後が
あるかも知れません。また随時修正、加筆していく予定です。

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